「阿吽」から阿吽へ

人間は真理ではなく、創造された「真理」を根拠に行動している。

無、空、「空」、「無限」、無限の区別がついた。

「空」、「無限」は社会で共有される最小と最大である。閉区間

空、無限は個人が感じられる下限と上限である。開区間

無は上の有界でない領域である。

創造する(動詞)とは無から有界領域への写像である。「創造」は「脳内の創造」「具現化した創造」に分けるとする。

「脳内の創造」が上の開区間から閉区間を除いた領域である。

「具現化した創造」が上の閉区間である。

どちらも写像の終域である。

数学が難しく思われる理由は数学の「言葉」が名詞だからである。しかし、意味としては動詞である。「言葉」は静止しているが、言葉は生きている。

(両方の側面を持つので動名詞である。そして「私」も動名詞である。)

数学の本質は本能的である。数学はアートである。

そうすると数学の本質は官能小説や絵文字の本質と「近い」関係にあることが分かる。

ただ十分で適切な表現(記述、発声、ジェスチャーなど)がなければ「他人」に誤解される。

数学に限らず、記述された「プログラム」もダイナミックに感じる。

 

数学の「証明」は音楽で言う「楽譜」である。そして数学の意味の理解は音楽で言う演奏する(動詞)状態である。

 

数学的対象は人間の思考が生み出したものである。

 

無駄に抗うと損をする。(当たり前)

 

「意味」は行動することでしか得られない。「記述」や「マニュアル」、「証明」、「プログラム」などといった「概念」は形式でしかなく、「空」である。「空」の中の空(現実世界に存在するかもしれない真空とは異なる)に「」で囲う行動をして、「」内に”不純物が混入して”(あるいは不純物を混入させて)初めて「意味」という対象が現れる。